常盤の雲、群青の空

いろいろかきます

ただ、幸せに Ave Mujica11話雑感

 余りにも惨い仕打ちに私は製作者が嫌いになりそうだ。嫌悪感すら覚える。と同時に、とても美しいものもまた、この物語にはある。いつの時代も残酷さが美を創る。彼女たちの苦しむ姿に喜びを見出していないと言えばウソになる。しかし、どんなに過程で傷つけられても、果ての先には幸せを掴み取ってほしい。それが私の創作物への願いである。

 

 そんな願いを嘲笑うかのように、製作者たちはどこまでもどこまでもどこまでも彼女たちを愚弄する。仮面の下の素顔を晒すだけに留まらず、その下の血肉と骨まで憎き敵のように剥がしにかかる。彼女たちの真の姿は、どこまでも欲望に溢れ、どこまでも醜いのだと。そう見せつけるかのように。なんとグロテスクな行為だろう。

 

 私は散々製作者は性格が悪いとこのブログで書いてきたが、改めて本当に性格が悪いと思ってしまう。彼らは恐らく実生活でも自らの欲望に忠実で、衝突を起こしたり、もしかしたら内輪揉めすら起こしているのかもしれない。そう納得せざるを得ないほどの黒さが、作品を通して垣間見えるほどだ。しかしそれこそが人間の姿なのだと、過去にも現在にも歴史が証明している。

 

 今回は考察など出来そうにもない。夏には見られない星座の話や初華が知る由もない豊川邸での口論など、そういったものは全て演出だと捉え、今回は佐々木李子さんの役者人生の全てを詰め込んだと言っても良い、三角初音そのものな一人劇について感想を述べていこうと思う。自分には他の人のようにロジカルな考察などできないのだから。

 

 

家族

 

 三角初音…豊川定治の非嫡出子として生を受けた彼女は、豊川家の別荘の管理人だった母によって東京ではなく、島での生活を送ることとなる。その理由というのも、娘初音のためではない。豊川の家において婿養子であった豊川定治の失脚を恐れた為である。その時点で、三角初音は親からの祝福などなかったのかもしれない。後に島の漁師と結婚をした母は妹となる新たな命を産み落とす。こうして生まれたのが三角初華。アイドルになることを夢に見たどこまでも明るい、初音とは正反対な妹であった…。

 

 考察はされていたものの、バンドリ!でこの設定はやらないだろと思っていたものが冒頭から明かされ、衝撃を与えたこのシーンでは、ほかと比べ淡々と語られてはいるもののあまりにも惨い真実を突き付けている。まず、妻を亡くした悲しさを共有できる存在と慰めあうというのは分かる。が、失脚云々の話をするのならば避妊はしっかりして欲しい。避妊をしたとしても完全に妊娠を防げるわけではないし、簡単に堕胎もできないことはわかるが、まず一般的な目線で「クソジジイ」という感想を抱かずにはいられないだろう。定治は当初東京に呼び一緒に暮らそうとしていたわけだから、彼なりの責任は取ろうとしていたようではある。

 次に初音母だが、こちらの感情も良くわからない。慕っていた(恐らく人間的に、ということであろう)定治妻が愛していた男を好いてしまい、子供を残したいと思ってしまったのだろうか。子供ができた後に定治のことを想い島で育てることに決めたというのは、実の父親と離される初音が可哀そうではないのだろうか。

 母親だけだと可哀そう…そういった罪悪感もあったからだろうか。島の漁師と早い段階で結婚したのは寂しい想いはさせまいという母の愛なのかもしれない。だが、その愛は歪んでいる、と私は思わざるを得ない。

 

 初音がいつ、出生の秘密を知ったかは今回の舞台ではわからなかった。しかし、物心ついた時から疎外感を抱いていたということは、小学校の時には知っていたのだろう。そして妹が生まれたことにより、初音の家族というコミュニティでの異物感を膨れ上がらせることも両親は知らずに…。

 

 初音は認知されていない為、戸籍は恐らく三角家の養子という扱いになっているのだろう。戸籍上の両親の間に生まれたその妹は、自身とは正反対、つまり自身に持っていないものを持っていた。それはもちろん血のつながりであったり、元々が祝福されて生まれた子というのもある。明るいその性格は初音より多くの友達がいただろう(島に何人子供がいたのかはわからない)初音は初華に、自身の妹にずるいという感情を持ってしまう。その感情は当然に発生する。現実では折り合いを上手くつけられる人はいるかもしれない。しかし、初音は違った。ただそれだけのことだ。

 

 ずるいという嫉妬の感情を持っていても、初音は優しい姉を続けた。この頃から既に本心を内に隠すということをしていたのだろう。初音は仮面を付けさせられてきた人間なのだ。そこに至ったってしまったのは、養父はわが子のように愛情を注いでくれて、幸せな家庭を築いていたからだ。その幸せを壊してはいけないからだ。表面的には笑顔でい続けないといけないからだ。傍から見れば幸せな家族、幸せな境遇だという人もいるくらいに。後に私もパパが好きだったという初音のその感情に偽りはないはずだ。

 

 ここまでの人生からも既にAve Mujicaにおいての行動が繋がってくる。モーティスが画策し円満なムジカになった時に「今のムジカ好きだよ」といったのも表面的に幸せでさえいれば、このバンドという家族を延命できると考えてのことなのかもしれない。一人抜けたら解散と言及したのは、後の自身の境遇を、養父あるいは自身が抜け家族を壊した境遇を想起させたからかもしれない。

 

 

大好き

 

 はじめは、ずるいという感情だった。初華にも抱いたその嫉妬は、豊川家の血族として幸せを享受する、隠し子として生きていく自身とは対照的な彼女…祥子に。しかし、初華が祥子に会い、仲良くする様を聞かされる度にそれが変わった。妹は、初華はずるい、そんなに素敵な女の子と遊べるなんてずるい。私も祥子ちゃんと遊んでみたい。話してみたい。会ってみたい。絶対に会ってはならないという母の言葉が枷となり、会う事は叶わない。禁止されると余計に想いが募る。妹が熱を出した時、初音ははじめて、自身の欲望を解放した。

 

 「いつもはお日様みたいに明るいのに、今日は月のように優しくて」

 祥子にとってはじめての初華との夜の外出。そこで祥子は初音を見ていた。妹と瓜二つという初音の出自には疑問が浮かぶが、そこについての言及は無意味だろう。大切なのは、祥子は外見だけではなく、内面をしっかりと見ていたということだ。

 

 悲劇のヒロインを演じるための、自身と対比するための存在。そう、自身の気持ちを自己否定するかのように痛烈に語っていた彼女の言葉は、半分は当たっているのかもしれない。そう自罰的思考になってしまったのは、生まれと環境のせいだ。そんな彼女を誰が責めることができようか。誰にも彼女の気持ちを理解できることはない。

 それでも、それでも祥子は初音をはじめて肯定してくれたのかもしれない。家族というコミュニティ外の存在からの、承認。それは先入観や強制されたもののない真に近い想い。その想いに初音は救われたのだ。仮面をつけ続ける彼女を人間にしてくれた。人間になりたいのは燈だけではなかったのだ。

 

 初音の「大好き」という言葉をどう捉えるかは視聴者に委ねられている。これを恋愛感情ではないと言う人もいる。特にアメリカでは近親相姦に当たるとしてそういう意見が多数なのかもしれない。しかしそんな単純な話ではないことは今までの話を見れば分かることであろう。

 確かに、叔母と姪という関係にしたことは日本国内においては結婚できないことになり、恋愛を描くことを避けていると捉えることもできる。そもそも日本では同性婚ができないため、結婚はできない。また、バンドリなのだから恋愛を直接描くことはないと、正確には公式に明言することはないということは分かりきっている。

 しかし、認知をされていない初音は道義上、倫理上問題はクリアしていると思われ、かつ同性のため優生学上問題もクリアしているのである。また、今回突然スイスへ行けと言われた祥子のシーンは全く持って意味不明なのだが、ここでスイスというキーワードを差し込んできたことにこそ意味があると思っている。

 

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 スイスでは三親等の結婚、叔姪婚ができ、なおかつ同性婚もできるのである。これこそが、初音が祥子へ恋愛的感情を抱いているということを暗に示しているのではないか、と予想する。バンドリなので明言はしないだろうが、Ave Mujica再結成が結婚式のようであったり、初音の「私の人生あげたい…あげる」など、婚姻を想起させる台詞回しは非常に多い。意図して作られているようにしか思えない。

 人の感情は何人にも否定することはできないと私は思っている。性別や制度や身分によって抑えられる必要はない。結局は当人とその周りの家族の問題であるのだから。

 

 

“2親等以内は婚姻できない”

  

 初音が自身も祥子もあらゆるものを偽り続けた中で、それでも祥子へと叫んだ「大好き」という言葉はどれほどの感情が込められていただろう。その言葉を祥子へ発することのできない彼女はどれだけ苦しんできただろう。愛があるから全てが許されるわけではない。本物の初華の夢も名前も奪った彼女にも相応の罰が待っているだろう。それでも、彼女のどこまでも生きにくくどこまでも苦しむ様を、私は美しいと思ってしまった。

 祥子の為に東京へ遠征し、祥子との繋がりを見つけた彼女は、一度は彼女に連絡を取り、祥子からもCRYCHICのライブへ招待され順風満帆に過ごしていけると思っていた。それなのに、自身の行いが祥子から家族も運命共同体も奪ってしまった。地面師の犯行に豊川家が関わっているのかは初音は把握できないし、不明なのだが、そう勘違いしてしまってもおかしくない。

 それからの1年間はまさに地獄のような日々であっただろう。それは、自身が慕っている祥子が地獄のような生活を過ごしている絶望感と、それを自身が引き起こしてしまったという自責の念。そしてそれを知りながら決して交流することのできない歯がゆさに自己をどれだけ傷つけただろう。彼女にとって祥子は全てであった。それがおかしい、一人の人間を神様のように崇めるのは間違っていると多くの人は言うかもしれない。それでも、初音にとって祥子は世界の全てで、身寄りも何もない、天涯孤独な初音を今まで生かしてきたのは彼女だ。そのどこまでも純粋な感情を誰が否定できるだろうか。

 

 初音と祥子の二人がどんな回答を出すのか、綾奈ゆにこ先生が手掛ける12話に期待しかない。それが例え初音にとっていばらの道でも、Ave Mujicaという鳥かごに捕らわれた5人が最高の音楽を奏でるその未来に、祝福がありますように。